神霊記録7

菅生稲荷神社(すごういなりじんじゃ)  2018年3月24日 

岐阜県飛騨市古川町数河(すごう)

https://ameblo.jp/daibo6r/entry-12492642574.html

岐阜に住む長女も行きたいので、浜松を朝早く出かけ長女の自宅で車に

乗せて三人で大和夫妻に言われた場所へ出かけた。

飛騨市中心から北東15km、国道41号線沿いのドライブイン前にある。

道順で先にひみこさんに言われた稲荷神社。

午前10時頃到着したとたん、ひみこさんから電話。

ひかるさんに言われて電話しました。

「今着きました、雪があってとても寒いが天気はいいです」、びっくり

しながら話す。

こちらの動きが全て見えている、ひかるさんも体調不良の原因究明に

真剣だ。


大きな稲荷2体



カギのようなものをくわえている



もう一体



稲荷の鳥居



本殿 京都伏見稲荷より分祀とのこと







道の駅 スカイドーム神岡

また15kmほど北東に進み飛騨市神岡町。

ここに道の駅があり、スーパーカミオカンデの紹介コーナーがメインと

なっている。

ここでスーパーカミオカンデの場所を探すが分からない。









高山市から飛騨市を通って国道41号線神通川沿いを北上、富山県との

県境あたりにスーパーカミオカンデはあるらしいが、不審者防止のためか

公の地図案内はない。

国道41号線を北上、富山県との県境付近に鉄骨製の大きなマンションの

ような建物があり、車を止めて建物表示看板を見ると東京大学の施設と

表示されている。

丁度宅配便のトラックが立ち寄ったので、運転手に聞くと親切に

教えてくれた。

後に調べると、スーパーカミオカンデからのデータを24時間解析している

コンピューター施設で常時2名以上いるそうです。

41号線を少し南に戻って、急なカーブのところに東へ進入できる

林道があった。

この先にあるようだ。


林道進入分岐点、正面は池ノ山、この地下に施設があるようだ



地下にスーパーカミオカンデ施設 民家もある



他には道路標示なし



施設の一部らしい



日曜日なので林道にはだれもいないので、ゆっくり車で進んだ。

外部写真を撮ったので、ここから離れて次に向かった。

施設イメージ図






作成: 2000/10/29 小林 隆

データ番号   :040221
スーパーカミオカンデ


目的     :ニュートリノの性質を調べること、および陽子崩壊の探索
放射線の種別 :中性子,陽子,電子
放射線源   :太陽、宇宙線、超新星、陽子加速器
利用施設名  :東京大学宇宙線研究所付属神岡宇宙素粒子研究施設
        スーパーカミオカンデ
照射条件   :地下1,000m
応用分野   :特になし。


概要      :
スーパーカミオカンデは岐阜県神岡町の地下1,000mにある5万トン
水チェレンコフ検出器である。
その一つの目的は自然界および加速器からのニュートリノを観測する
ことによりニュートリノの性質を調べることである。
水中でのニュートリノ反応で生成される荷電粒子が発するチェレンコフ光
を壁面の光電子増倍管で捕らえ、その像から粒子の運動量、方向、
反応点などを再構成する。
1996年に観測を開始、1998年ニュートリノが質量を持つことの証拠を発見。
2,000年現在も大気、太陽ニュートリノの観測を続けている。





再度 千光寺

長女が初めてなので山道を1時間ほど走り、再度参拝。



高野山真言宗



石碑



マニグルマ ブータンより



御嶽山?



境内 この下も敷地のようだ







水無神社 再度参拝



ひな人形展示







位山 分水嶺 



左飛騨川〜木曽川〜伊勢湾 右水無川〜神通川〜富山湾



長女を岐阜の自宅へ送ってから帰宅、夜8時すぎだった。

車から出ようとドアを開けたと同時にひみこさんから電話があり、

どうでしたかと言われびっくり。

翌日主な写真を郵送して鑑定予約をした。

ひみこさんから写真郵送のお礼の電話があり「ひかるさんは写真をずっと

見ていました、次の鑑定のときに池ノ山の石を拾って持ってきて下さいと

言ってます」ひみこさん。

これは大変だまた行くのか、河原で拾うか現地で考えよう。

4月1日に再度二人で出かけました。





再度 菅生稲荷神社(すごういなりじんじゃ)  2018年4月1日

再度出かけ通り道なのでドライブインでの物見、休憩を兼ねて参拝。



まだ雪が少し残っている



ドライブインで竹細工の入れ物購入







道の駅 スカイドーム神岡







神岡城 スカイドームの近くにある






立ち達磨
補陀山洞雲寺(ほださんとううんじ)の奥の院、観音山の中腹に鎮座する
「立ち達磨」像。
この立ち姿の達磨の銅像は、かつて洞雲寺の住職にお供して神岡に
滞在した際に多くの絵や書を残し、町の人たちから”球学さん”として
親しまれ、後に永平寺副貫主をつとめられた高僧、浩潤球学
(こうじゅんきゅうがく)氏が描いた達磨図をモデルに、昭和48年(1973年)
建立されました。
 ”鉱山の町”として栄えた神岡の町らしく、材料の銅は地元の神岡鉱山で
産出したものが用いられており、鋳造された銅像は、高さ8.9メートル、
重さ8トン(台座を含めると約14メートル)の堂々とした立ち姿で、神岡の
町を見下ろします。

城からズームでなんとか撮影できた



城から北を望む







スーパーカミオカンデ進入路付近



池ノ山 見た目は普通の山、中は鉱物資源を含んだ飛騨片麻岩



林道 道路わきの片麻岩を拾った



河原は危険で近づけない




富山県 道の駅 林林(りんりん)






飛騨片麻岩 右奥 ヤマトヒメ用黒水晶 左奥 秋葉神社火打石







来た道を戻るのもいやなのでそのまま北上、北陸自動車道富山インター

から西進。

砺波ジャンクションから東海北陸自動車道を南へ山越えして帰りました。


大和邸での鑑定日には二人で拾った石を持参した。

自分用から磨いてもらい、次はひかるさん用で最後に長女用に生(しょう)

を入れてもらいました。

ひかるさんの体調は戻り、ひかるさんは原因が分かったと思います。


「ウガヤ王朝を調べれば分かる」とひみこさんは何者かに言われました。

飛騨にも古代王朝があったのです。

そこで私は宇宙の神様との通信係だったようだ。

日本最古(20億年前)の固い片麻岩の山で、宇宙との通信には今も昔も

都合が良かったのか。


さらに私の右肩にはアンテナがあり宇宙との通信に使っていたと言われた。

「こんなものがある人は初めてだ、これでは次々と神様が頼ってきてしまう」

ひかるさん。

さらに余分な場所に行かないよう気を引き締めた。

頼られても大昔の自分の神霊能力は退化して、今はなにもできず

苦しいだけ。

これが私に神霊が次々来てくれる原因だった。
































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