神霊記録2

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孝謙天皇(こうけんてんのう)  2015年12月   

近隣の社寺を参拝したものの二人ともいつもの背中から肩が硬くなって

痛い状態が続くので何とか年末に観てもらいました。 

いつもの鑑定が始まり、1回目終了。

お茶菓子をいただきひみこさんと雑談していると、「孝謙天皇だ」

ひかるさん。

「あぶらやまで憑いた」、油山寺(ゆさんじ)の昔の正式な読み方です。

孝謙天皇が奥さんに憑いています、人間の霊なので神様では

ありません、ひみこさん。

神界手前の菩薩界あたりか、全くの不意打ちでびっくりです。

ここしばらく奈良方面へ行かされたからとしか思い当たらない。

他には新薬師寺 聖武天皇、光明皇后参拝も関係あるのか?


自宅に帰ってから調べました。

奈良〜平安時代の天皇系図はドロドロの権力争いで関わり

たくないところ。


孝謙天皇 称徳天皇
孝謙天皇(こうけんてんのう)は、聖武天皇を父として718年に生まれ、
738年に皇太子となりました。
孝謙天皇は、日本で始めての女性の皇太子となった人です。
孝謙天皇も父親の聖武天皇同様に仏教への信仰は厚く、753年に
東大寺の大仏が完成すると開眼供養を行ったのは有名です。
この孝謙天皇は独身で子供がいなかった為、皇太子を誰にする
べきかが当時大きな問題でありました。
この時、大きな力を握っていたのは、藤原仲麻呂という人。
この仲麻呂の推薦で大炊王(おおいおう・天武天皇の孫)を皇太子
にすることを決めます。
この大炊王とは、仲麻呂の息のかかった人物です。
仲麻呂には息子がいましたが、その息子が亡くなった為、息子の
妻の新しい夫・・・とちょっと複雑ですが、兎に角、仲麻呂と関係の
深い人物でした。
このように、孝謙天皇は仲麻呂に大きな信頼を寄せており、その後
、皇位を大炊王に譲ります。
と、ここまで孝謙天皇と時の権力者、仲麻呂の仲は非常に良かった
のですが、その後ドラマチックな展開が待っています。
そう、怪僧といわれた
道鏡と考謙上皇との出会いです。
761年、病で倒れた考謙上皇をひとりの僧侶が看病します。
そう、それが道鏡だったのです。
見事に病を治してみせた道鏡。
その後、考謙上皇は道鏡に絶対の信頼を寄せるようになって
いきます。
いったんは、皇位を大炊王に譲った孝謙天皇でしたが、上皇と
なっていた考謙上皇は、再び政権を取り戻すことになります。
これには、裏で道鏡の思惑もあったと推測できます。
そして、仲麻呂を謀反の罪で捕らえ、淳仁天皇(大炊王)の帝位を
廃止すると、寵愛する道鏡に法王の位まで授けます。
そして、考謙上皇は、再び天皇の座につき、称徳天皇となりました。
その後、道鏡は天皇の座まで狙うのですが失敗。
770年に称徳天皇が崩御すると後ろ盾をなくした道鏡は、下野国の
薬師寺別当に左遷されてしまいました。
ひとりの僧侶を愛し、彼の言うがままにすべてを与えた女帝。
愛に生きた彼女は生涯独身を貫き通し、天皇の身でありながら
子をもうけることもなかったのですが、その生涯は幸せだった
のかもしれません。


油山寺ホームページより

天平勝宝元年(749)、孝謙天皇が御眼の病気を患った折、当山の
本尊である薬師如来に眼病平癒を祈願されました。
境内を流れる「るりの滝」に加持祈祷を行い、この霊水で御眼を
洗ったところ、病気が全快したといいます。
このことから、当山は孝謙天皇より勅許をいただき、勅願寺と
なりました。




皆でびっくりしながら2回目の鑑定が一段落した時、「大神神社だ」

とひかるさんは言う。

奈良県桜井市の有名な神社で周辺はよく通ったが、行ったことは

なかった。

これは立て続けでたまらん、次々と待っているようだ。

からだに異変が起きなければ、有難いことだが正直困る。





大神神社(おおみわじんじゃ)  2015年12月30日
 


年末なら混んでいないだろうと、雑用を事前にこなし12月30日

早朝出かけた。

コメント
ひかるさんが「神霊的に見えた場所」は必ずいかないといけない

ルールです。

それも3ヶ月以内が目安。

早いほうが神様がやる気を評価してオマケをつけてくれることもある。

遠すぎて無理な場合は近い場所に代替してくれる。

無視するとからだに異変が起き重病のような症状となり直りません。
コメント終り


境内は三輪山も含めてものすごく広いので行けるだけ行った。

【公式】三輪明神 大神神社 (おおみわじんじゃ)  

正月準備完了






ウサギをなでるといいらしい



八大龍王弁財天

【動画・知られざる聖地】八大龍王弁財天・?神神社・奈良の
三輪山の麓にある古代信仰の地|coco@沖縄|note







桧原神社
檜原神社(ひばらじんじゃ) | 大神神社(おおみわじんじゃ)



市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ) |
大神神社(おおみわじんじゃ)







祓戸神社(祓戸四神を祭るところは珍しいと思う)









境内マップ




年末なのですぐ正月となったが、幸い二人ともからだに異変は

起きなかった。

気になったのが孝謙天皇のことで、さらに調べると箱根神社とも

深いつながりが分かりました。





2016.1.10 箱根神社参拝 

箱根神社(九頭龍神社)公式ホームページ  

箱根神社元宮【3】文献に掲載されている由緒書き|神奈川県  

第46代孝謙天皇の天平宝字元年(757年)、万巻上人が三所権現と
あがめ元箱根に里宮を創祀、当山を奥宮として奉斎し近年に及ぶ。


妻に孝謙天皇が憑いたのが、静岡県袋井市 油山寺でした。

二人ともからだも元気なので新年のあいさつに箱根神社に出かけました。

孝謙天皇が妻に憑いたことが不思議でしょうがなかったのです。

二人ともありがたいというより、なんで?なぜ?が先だった。

最近西ばかりなので東へ行くのもいいことだ。

座敷わらしのまゆと雪も神社仏閣巡りはいっしょです。

東へ出かけるときは「足柄サービスエリア方面です」のカーナビの

女性の声です。

今回は手前の裾野インターで降りるので案内なし。


富士川サービスエリア 富士山ビュースポット



箱根神社入り口






本殿



九頭竜神社



芦ノ湖南側 駒形神社 自分の行動範囲では駒形神社はここしかない



駒形神社に毘沙門天の祠 江戸時代神仏祭られていた?



駒ヶ岳行きロープウェイ






箱根駒ヶ岳から富士山



芦ノ湖



箱根元宮(はこねもとつみや)と馬降石(ばこうせき)







後日大和夫妻に鑑定してもらいました。

2015年末 大神神社参拝、孝謙天皇の関係で箱根神社参拝を

納めてもらいました。

大神神社は呼ばれてすぐに行き、厳かな感じを二人とも強く受けたが、

なにも来ていませんでした。

箱根神社からもなにもなしで終わりました。

短期間でできるだけのことをしたので、二人とも気持ちは

スッキリしました。





成相寺(なりあいじ) 2016年1月26日(火) 

前日浜松から舞鶴へ社用車で行き、打合せ等こなし戸建て宿舎へ

1泊し、翌朝自分の作業をこなして浜松へ戻った。

夢はあまり見ないほうだと思っているが、昨夜寝ている時はっきり見た。

白い羽衣をまとった天女が5人ほど自分の前に舞い降りて、しばらく

舞いを舞って帰っていった。

全く不思議で今回も心当たりがない。


状況説明
真冬で寒く舞鶴は雪がかなり積もっていた。

車は除雪された道は走れるが、スタッドレスタイヤ装着でも要注意。

ゆっくり走らないと滑って簡単に事故を起こす。

降雪時は敦賀から北陸自動車道、米原経由は除雪で渋滞となる。

あまりに雪が降ると通行止めとなる。

そのため通行は浜松〜伊勢湾岸自動車道〜四日市〜

新名神高速道路〜京滋バイパス〜京都縦貫道〜大江インターが

安全なルート。

どちらも320kmあり普通で片道5時間かかるが降雪時は1時間

余分にかかる。
状況説明終り


大江インターから帰途についたが昨晩の夢が気になり、パーキング

エリアで大和邸に電話を入れた。

午前10時過ぎで連絡でき、ひみこさんが電話担当なので夢の状況

説明をして待ちました。

まもなく返信もらい、ひかるさんの鑑定では「成相寺の梵天が見えた」

とのこと。

次のインターで降りてUターン。

大江インターを通り越して京都縦貫道終点 与謝野天橋立インター

で降りた。

天橋立北端 籠神社(このじんじゃ)への途中に成相寺はある。

大和夫妻からは籠神社は元伊勢でとても大事なところと聞いていた

ので何度も参拝している。

成相寺は籠神社への道の横に大きな案内看板があるので知っては

いたが、急坂を延々と登った頂上付近なので今回初めてだった。

しかも積雪が凍ってアイスバーン状態。

途中まで車で行けたが、最後は長靴、防寒着で歩いて寺に到着。

寺にはお坊さんが一人、留守番でいました。

参道は坂ばかりだが除雪スコップで歩けるように整備してくれてあった。

天気はいいが雪と寒さが半端ではない。

お坊さん以外誰もいないが自分が帰るとき、4WDで駐車場まで登って

いった年配の夫婦とすれ違った、相当な猛者だ。

手水舎で手を洗ったか覚えていないが2体の龍が絡み合っていたのは

覚えていた。

単体の龍はよくあるが2体は初めて見る。

拝観料払い本堂内参拝。

ご本尊にあいさつして、梵天像を探す。

確かにあったが、撮影禁止なので拝礼のみ。

しかし天女の夢とどういう関係なのかさっぱり分らなかった。

外部は撮影できるので、気になるところを撮って撤収。


成相寺について
成相寺(なりあいじ)は日本三景天橋立を眼下に望む景勝地にあり、
元々は日本古来の山岳宗教の修験場で、日本全国にある五つの
「聖の住む所」の一つとして信仰を集めてまいりました。
慶雲元年(704)に文武天皇の勅願寺として真応上人が創建したと
伝えられ、本尊は身代わり観音、美人観音として名高い
聖観世音菩薩です。
境内には悲話を伝える「撞かずの鐘」、奇怪な話の「底なし池」、
左甚五郎作の「真向の龍」などがあり、しゃくなげの名所でもあります。
車道もありますが、天橋立を眺めながらケーブルカーと登山バスを
乗り継いでお参りされるのも楽しいでしょう。
西国札所最北端に位置し、冬は雪が深くなりますが成相寺から見る
雪の天橋立も格別です。

由 来
一人の僧が雪深い山の草庵に篭って修業中、深雪の為、里人の来住
もなく食糧も絶え何一つ食べる物もなくなり、餓死寸前となりました。
死を予感した僧は「今日一日生きる食物をお恵み下さい」と本尊に
祈りました。
すると夢ともうつつとも判らぬ中で堂の外に傷ついた鹿が倒れている
のに気付きました。
僧として肉食の禁戒を破る事に思い悩んだが命に変えられず、決心
して鹿の腿をそいで鍋に入れて煮て食べました。
やがて雪も消え、里人達が登って来て堂内を見ると、本尊の腿が
切り取られ鍋の中に木屑が散っていました。
それを知らされた僧は観音様が身代リとなって助けてくれた事を悟り、
木屑を拾って腿につけると元の通りになりました。
此れよりこの寺を願う事成り合う寺、成合(相)寺と名付けました。

西国第二十八番札所
橋立真言宗 成相山成相寺

宗派:高野山真言宗
朱印
本尊:聖観世音菩薩

開基:真応上人


手水舎 ホームページ写真 2体の龍が絡み合っている




左甚五郎作といわれる 真向(まむき)の龍 




成相寺|西国第二十八番札所 橋立真言宗 成相山成相寺

西国第二十八番 成相寺


雪が凍った急な坂道 途中から登れない



五重塔と池



天橋立北より南を望む



衝かずの鐘



本堂










帰宅して大和さんに鑑定予約、2週間ほど待ち大和宅で鑑定受け。

細かいことは忘れてしまったが、黒龍、白龍2体が私に憑いていると

言われた。

手水舎の龍の飾り通りだ。

梵天様も納めてもらった。

大和夫妻に観てもらった2008年秋に実家にいた南朝武士の地縛霊を

奈良吉野山、吉水神社に見送った後何度も参拝した。

その時金峯山寺の横を通ったが、金峯山寺の丸柱の中にいた

風神雷神が私に憑いたことがあった。

今回もそのパターンか。


その後調べてみると仏教では梵天は弁才天と同じ天部の神様。

ヒンズー教ではブラフマーとされ創造の偉い神様。

破壊神 シバ、創造神 ブラフマー、維持神 ビシュヌ 

シバとドゥルガーの夫婦神は破壊と戦の神なので、インドグッズで

買った像を神棚には置かず自宅寝室に置いてある。

ブラフマーの奥さんはサラスバーティ、日本では仏教の弁財天。

ネット販売のインドグッズから梵天像購入。

次に夫妻に観ていただいたときにひかるさんに納めてもらいました。

梵天と弁財天はインドヒンズー教ではとても偉い夫婦神様と

いうことですか。


左 妙音弁財天とブラフマー、右 八臂弁財天(天河仕様)